浜松祭り

英語生活ECLA

2010年05月07日 02:10

いやー、終わりました。浜松祭り

僕の中では結婚式と同じところに位置づけていた浜松祭り。
我が子が生まれたらいつかは凧を上げたいという願いは、浜松に生まれ育った者のDNAに刻まれているものなのでしょう。そんな子どもの頃からの夢が叶った今年のゴールデンウィークは、今や僕ひとりではなく我が家にとって特別なものになりました。間違いなく一生の思い出となるでしょう。


5月2日(日)
この日は前日飲み過ぎて二日酔いでスタート。
一日中調子が悪いまま、夕方実家へ。この日はお祭りの前夜祭があったのです。
初めて自分で揃えた祭り装束を身にまとい、久しぶりの祭りラッパの音の中へ。
ジッとはやる気持ちを抑えつつもテンションは上がりまくりました


5月3日(月)
いいトシしてワクワクしてあまり眠れませんでした。
この日はウチの家族(4人)に加え、ウチの両親+妻のご両親と妹さん+妹家族(5人)+弟と彼女の総勢16名という超大所帯がバスに乗り込み、凧揚げ会場(通称『凧場(タコバ)』)へ

凧場へ付くとテンションはイッキに↑。急に落ち着きがなくなっていたはずです。落ち着きを取り戻すようにサッソク一杯。

我が家の凧の順番は3番手。昼食の後。

この日はあいにく風が弱く、みんなあまり凧が上がっていない。お昼を食べている間に風が吹くことを祈る。

そしてついに我が家の心海&太陽凧の番に。

結局 風は強まらないまま。

でもアダムをはじめ外国人の友達も、バイトしてくれている医大生の子も、親戚のタケちゃんも、たくさんの人たちが顔を出してくれて、すっごい幸せな気持ちにしてくれました。

この日はあまり凧は上がらなかったけど、町の凧揚会の方々が万歳とラッパを吹いてくれました。


その後、凧場をあとにした僕らは実家で屋台&子どもの練りを待つ。
夜の大人の練りはホントにホントにやりたかったけど、子どもの事を考慮してやめました。
それでも十分なくらいみんなが祝ってくれたのでとっても幸せ。
チーム外人もまた家まで来てくれ、みんなで楽しいひとときを過ごしました。
来てくれたみんな、本当にありがとーーーーー。



5月4日(火)
この日は自分たちだけでのんびりと凧場へ行くつもりでいたら、凧揚会の方がわざわざ電話をくれました。
「今日は風がメチャクチャいいから、今日凧を上げよう!」と。

急いで準備して凧場へ。
すると前日とは比べ物にならないくらい各町の凧が空高く上がっているではないですか!

僕らの凧はまたも昼食の後。
風がいいおかげで前の凧がしっかりケンカできたので、お昼の後 少し時間が長引くも、
ついに我が家の出陣!

見事に心海&太陽の凧が大空高く舞い上がりました。

すっごく不思議なんですが、空を駆け上がっていく凧を眺めながらなぜか涙が湧き出てきました。
たくましく育て。
健やかに育て。
そしてきっと自分の親もそう思っただろう。
自分に息子が生まれて以来、何だか分かってしまった「親心」。
もう反抗期は終わらせてもいいかな。
素直にはきっともうなれないだろうけど、少しは心の扉は開くようにしよう。
そう思いました。

なんてシンミリとはいけないのがこの荒々しい祭りのいいトコロ。
どこかの町の凧糸が襲い掛かってきて泣いてる暇などないのでした。

すると今回とてもよく世話してくれた相談役のIさんが「ケンカやりいくけ?」と。
僕はみんなそうするものだと思っていたのだけれど、きくと今どきではキレイなまま凧を下げることを望む方もいらっしゃるそうで。

そこは生粋の浜松っ子の僕。
キレイに生きようとは思っておりません。
ボロボロになるまで生きてこそ!
ケンカ凧でボロボロにしてください!ぜひ!

するとIさん「今から田町に申し入れてくるで」と。
田町などの古くからお祭りに参加している町は凧上げのレベルが高くIさんいわく「メジャー級」だそうで。
一方の我が町「飯田町」は僕が中学生の頃にできた比較的若い町。
たまたまIさんが田町の組長と仲がいいらしく、この身の程知らずの挑戦が実現しました。

ウチの凧、大健闘でしたよ。
中澤町も含めたメジャーリーガーたちを相手に十分戦った。
がんばってがんばって、最後は尾がポッキリ折れて落ちてきました。

最後騎馬の上で叫んだ「やいしょ!」は、サイコー!

もしかしたら結婚式よりも幸せで楽しかったかも(ヨメさん、ゴメン)。

僕たちが最後の順番だったので、思う存分凧を上げる事もできました。
ちょうど落ちてきて程なくして、この日の終わりを告げる花火が鳴りました。
陣屋(町のテント)まで帰る道すがら凧揚会にスカウトもされ、大変なのは分かりつつうれしい気持ちになったのはナゼ?来年はタスキか?


5月5日(水)
前日の激戦でウチの凧はもう上がらないそう。
それでも最後に凧場の空気を味わいたくて、そして凧揚会の皆さまにお礼を言いたくて両親と凧場へ向かう。
すると昨日のスカウトで凧揚会にほぼ入会決定の僕は、別の初子さんの凧揚げをお手伝いすることに。なのにこのうれしい気持ちはナゼ?やっぱり来年はタスキなのか?
結局ラストの午後2時まで凧場にいてしまいました

実家に戻る前に、精をつけるため混んでるけど美味いと有名な近所のうなぎ屋さん「かんたろう」へ。
そして実家に戻り少し休んで、最後にもうひとりの「太陽くん」の初練に参加させてもらいました。
ここのお宅はすっごく立派なお祭りでビックリ!
樽酒が3つも並んで、ちょっと立ち寄らせてもらっただけの僕らにも振る舞っていただきました。


すっかり酔っ払った僕は、娘を頭に乗せノリノリ。
最後に年甲斐もなく激練に混ざらせてもらって、そして僕らの祭りは終了しました。



この祭りはHappyな祭りです。
少子化だーなんていってるこのご時勢に、子どもが生まれてよかったな!っていって何十万円もかけて凧を上げてお酒を飲んで大声張り上げて祝ってる。

でも実は各町単位で物事が進行していくから、今ひきこもりや不登校、子育て支援関係の話をしているとキーワードになってくる「ご近所づきあい」が自然と行われてる。
みんな一年に一回だけのこの混沌を通して、無意識にだけどコミュニティー単位で子育てをしてる。

これだけ人の動きが活発になって集合住宅が増え当たり前の世の中になると、きっとこの祭りを継続していくのは、大変なんだと思います。それがいいとか悪いとかではなく。
でもだからこそこの祭りを存続させていく意義があると思いました。

だって幸せでしたもん。

若い頃は違う意味で祭りに夢中でした。
でも今年は全然意味合いが違う。
こんな幸せな事はないかも。

家に帰ってきて、みんなからいただいた鯉のぼりや五月人形、お酒やお祝いの品を眺めながらヨメさんは泣いてましたよ。これはちょっとやそっとでテキトーな事してはいけないなと思いました。

そんなワケで来年はタスキ掛けてるかもしれません。

こうしてきっと一生に一度であろう僕らの浜松祭りは終わっていきました。
「まーつりーだ やいしょ」

今も空耳が聞こえます。

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