2010年12月06日

生きる

何のために生きるのか?
今回はテーマが壮大だよ。
でもなんだか自分でも納得いってる。
永久保存版かも。

自殺者があとを絶たないという昨今、ひさしぶりに「何のために生きるのか」なんていう疑問がふと頭をよぎった。

思春期。尾崎豊に触発されて僕はこの疑問について考るようになった。尾崎みたいになりたいと思い、影を抱えたフリをながら自分なりに真剣に考えたつもりではあったが、生来プラス思考の僕はすぐに答えにたどり着いたしまった。

「自然現象」
生まれた意味などない。自然現象である。生きる理由などない。それが思春期の僕がたどり着いた答えだった。どうせ生まれたんなら楽しまなくちゃね。そう結論づいて終わってしまった。

それからはそんなコトを考える事もあまりなく、その頃の倍くらいの年齢になった。
僕は親父になっていた。
こんなに大切な命。
きっと誰もがそれぞれの親にとってこのくらい、いやもしかしたらそれ以上の大切な命。
なのに自ら命を絶つ人が毎年3万人もいるという。
旧・新居町の人口よりも多くの人だ。

そんなニュースと大切な我が子がとても対照的で、久しぶりに同じ疑問が頭をよぎった。
ダテに倍くらい生きてきたワケではなく、今の僕の頭に浮かんだ答えは以前よりもさらに深いものだった。

僕は学生の頃、日本史にしろ世界史にしろとにかく歴史は嫌いだった。
なんでそんな昔の人の名前を覚えなきゃいけないのか理解できなかった。
今の総理大臣の名前も漢字で書けないのに。今のアメリカの大統領が誰なのかも知らないのに。
「なんとか太郎ザエモン」って、何だよそのミドルネームみたいの。ガイジンか。
現代の事もよく分かってないのに何で過去を振り返らなくちゃいけないのか理解できなかった。

歴史の流れの中では、いろいろな人が誕生しそして死ぬ。
いとも簡単に生まれ、死ぬ。
すっごい大きなことをしたはずなのに、あっけなく死ぬ。

こんなすごい人が死ぬことが歴史のページのこれっぽっちしかないんだから、何にも大きなことをきっとしないオレが生きていたことなんてのは、この歴史の教科書のどこの一行にも載らないんだろうな。
ってことはオレが今生きていることなんて、ないと同じなのかなー。
僕は高校生の時に、ハッキリとではないが今思うとそう思っていた感覚は残っている。

だからバイクに乗ってスピードを出すことは怖くなかった。
サーフィンで大きな波に乗るのもそれほど怖くなかった。

しばらくして大人になったら妹が子どもを生んだ。
僕に初めて血のつながった新しい命が誕生した。
妹は死ぬような思いだったという。
話には聞いていたが、血のつながった赤ん坊だからなのかよく分からないが僕の心の感じ方は確かにいつもとなにか違っていた。

ほどなくして僕は虫歯が痛くなった。
ちなみに僕は無類の歯医者ぎらいだ。
小学生の時にいきなり麻酔をされたのか衝撃的に痛くて、それから歯医者が怖いのだ。
バイクでスピードを出すのは怖くないくせに歯医者は怖いという。
その虫歯が痛すぎて一晩眠れなかったので、僕は朝一番で背に腹は代えられない思いで歯医者に行った。
歯医者の帰りに思った。
「オレの歯がこんなに痛いことなんてましてや歴史の教科書のどの一ページにも載らない」

なのに僕はあんなに必死だった。
歯が痛くて死にそうだった。
すると今までの自分の歴史に対する認識が揺らいだ。
「ちょっと待てよ。もしかしたら生まれるとか死ぬとかってとんでもねえことじゃねえか。あんな薄い教科書の中にオレの歯が痛いなんてものの何百倍ものひとりひとり必死な誕生や死や思いや経験が詰まってんじゃねえのか。」と。
僕は意外な場面でそのアイディアにたどり着いたのだ。

ちょっと待てちょっと待て。
「武田軍騎馬武者1万5千ほぼ全滅」ってサラッと言うなよ。とんでもねえ事が起こってんじゃねえか。
全身麻酔で手術なんてできない時代の話でしょうがよ。
「広島に投下された原子爆弾で14万人が死んだ」っておい。地獄じゃねえか。やめなさいって。
オレなんてカッターで指切っただけで大騒ぎするぜ。

歴史の教科書に登場する人たちどころか、教科書に登場しない数え切れないほどのストーリーの結晶が歴史なのかよ。

もしかしたら人生なんて、本当は生まれて食って寝てヤッて生んで死ぬ―本当はそれだけなのかもしれない。
でもね。でもそこに人間だけが愛とか幸福感とかを見出して、生きるという事を楽しもうとしている。
歴史をちょっとだけでも勉強してみると、人間というのはどんな困難な状況でも、どんな悲劇的な状況でも、その中から必ず希望を見出してそして生きている。一番身近で言えば、僕らのおばあちゃんたち。戦争を経験した人たちだ。きっと地獄のような思いをしたのだろう。しかしそんな状況の中でも愛を育み、そして今の僕がここにこうしている。きっとキレイ事ばかりではないだろう。なのに笑ってる。

もしかしたら「生きる」なんてものは全く無機質なのかもしれない。しかしその「生きる」というものに「楽しみ」を見出せるのが、人間の持っている特殊能力なのかもしれない。

勉強も恋愛も結婚も子育ても仕事も、「楽しいから」というモチベーションで取り組めばいいのはないか。「こうすべき」事なんて、それこそそもそもないんだよ。好きなように自分スタイルでやればいい。他の人がどうやってるかなんて、構わなくていいじゃない。
イヤなら助けてもらっちゃえばいいよ。その代わりに周囲にサポートしてもらうんだから、横柄にしてちゃダメだよ。いっつも「ありがとう」って思ってないと。

他人の悪いところを見つける労力を、他人を許す方に使ってみよう。
そうすると自分が楽になるよ。だって他人を責めるときには自分が正しいことしてなくちゃいけないもん。他人を許していれば自分も許してって言えるじゃん。

そして「幸せ」や「楽しみ」は自発的に感じるものだと思う。誰かに「感じろ」と強いられるべきものではない。「感じて」とお願いされるべきものでもない。「感じてください」と与えられるものでもない。「幸せ」や「楽しみ」は感じようとしなければ感じられないものだ。ここが「悲しみ」や「不幸」とは異なる点である。「悲しみ」「不幸」は、逃げたくても追って迫ってくるものである。したがって極めて感じやすいのだ。

こんなに自殺が多いのは、少なくとも何かがおかしい。
そのハッキリした原因はよく分からないけど、海外にいて日本に帰ってくると感じる「息苦しさ」は確かにある。

僕らは笑うために生まれたはずである。
僕らはいろいろなことを楽しむために生まれたはずである。
赤ん坊を見ていたら分かる。
僕らは生まれたとき、そんな赤ん坊だったはずだ。

大人になる課程のどこかでいつしかそのチャレンジ精神は削がれている。
いつしかその笑顔を曇らせている。
必ず原因があるはずである。

僕は日本人が受身の姿勢でいる、そして受身の姿勢でいられるというのが原因の大きな割合を占めていると思う。学校という場は受身の姿勢をかなり助長しているように僕の目には映る。

とにかくはなるべく笑っていられる社会を作らなければいかん。
自ら命を絶つなんてのは江戸時代で終わらせるべきだ。

僕はそれを自分の仕事を通して実現していきたいと思う。
未来は僕らの手の中 by Blue Hearts だ。



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Posted by 英語生活ECLA at 00:03│Comments(2)教育
この記事へのコメント
私も友達が3人自殺している・・・

1人は直前まで交流があった大切な友達だった。
信じられない気持ちとどうして?どうして?っていう気持ちでやりきれなかった。
5年間、一日も彼を思い出さない日はないし、あの子をどうして助けてあげることができなかったのか、今も自分を責め続けている。
親御さんはもっとつらいはずで、あとを追ってそばに行きたいと今でも言う。
自殺・・・本人にとっても残された者にとっても本当に残酷な亡くなり方だと思う。
どうすれば、自殺者をなくすことができるんだろうね・・・
Posted by ERI at 2010年12月06日 09:26
ね。難しい問題だよね。答えは絶対にひとつじゃないし。だから自分ができることをひとりひとりがやっていくしかないね。だから横柄に乱暴に生きちゃダメなんだな。うん。
ありがとうと思って生きましょう。誰かが喜ぶと思うことをやってあげましょう。
それしかないね。
Posted by ECLAECLA at 2010年12月06日 15:03
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